ヲタっ子1年生だった(過去形)

ヲタっ子1年生でした。元々は俳優厨、今は二次ヲタ俳優茶の間です。

15年もしくは2年製の宝石箱。

DREAM LIVE2018横浜公演の感想です。

とりあえず、ドリライ全体と卒業のことについて。推しとかのことはまた今度。

 

 

ペンライトの揺れる横浜アリーナは、まるで宝石箱でした。その沢山の、色とりどりの輝きを集めたのは、テニミュの15年間であり、青9の2年間なんだなって。

20日はマチソワ共にスタンドだったのですが、高い位置から観た会場は本当にきらきらしていて、その光たちがそれぞれに意思を持って動く様がとても尊く感じられたんです。ステージ上から、自分たちに向かって立ち上り降り注ぐそれを観られたなら、と演者たちが羨ましくなるくらい。

でも、ステージの上は更に煌めいていて、会場中の光の芯はやっぱり王子様たちなんだなと実感しました。

 

ドリライって不思議だなって思うんですよ。

だって、OP映像で私たちはキャスト名を呼ぶじゃないですか。それも、キャラビジュアルに対して。

テニミュは公式SNSにしかキャラビジュアルのオフショットを載せないし、テニミュブログでもヘアメイクがキャラの時はキャラ名で表記される徹底ぶりです。

でも、ドリライは最初からキャストとキャラを同時に存在しうるものとして扱っているんです。その特殊性はきっと、ドリライの『夢の世界』を作り出しているのはキャラだけでなく、演者も夢を与える存在なんだという意味なのかなと思いました。

 

テニミュってキャスト自体がノンフィクションドラマじゃないですか。

選ばれて、稽古して、舞台に立って。その中で彼らが感じる苦楽や築いていく関係性もコンテンツになっていて。

青学たちのそのドラマの終着点が、卒業です。その最後の姿を観客に『提供』するのに、ドリライほど適した場ってないと思うんですよ。

キャストとキャラが重なりあっているから、大楽で菊丸が大石に言った「これからも」が切なく美しくなるんです。キャラの物語は続くけれど、キャストのテニミュでの物語は幕を閉じる。そのことを観客もキャストも知っている上で、キャラだけがその言葉の通りに歩んでいく。

これまで共に歩んだキャストとキャラの二重の物語が分離する瞬間って、形容しがたいものがあります。

 

ドリライのOPの他にも、卒業バラードもキャスト主体なものではないでしょうか。

各代のものとして存在して、他の代で歌われたときでも「○代目の」として扱われる、キャラと分離していく彼らへ贈られた楽曲なんですよね。

青9の卒業バラード、聴いていて「上手く聞こえるな」って思いました。公演中の他の楽曲より歌唱力が高く聴こえるんですよね。仁愛くんなんかは特に顕著だけれど、皆それぞれ歌いやすいようにできているのかなって。

公演の楽曲は基本キャラの物語をなぞるものだけれど、卒業バラードはキャストの物語をなぞるためにあるんだと思いました。

 

卒業とは、キャストとキャラの物語の分離であり、次のキャストとキャラの物語の結合です。15年間繰り返されてきたそれを私は今回初めてリアルタイムに観ました。

次のキャストがいる以上、卒業するキャストはそのキャラに留まってはいられないんですよね。

それを表しているのが、黄金曲の後の、初代大石の土屋さんが大石になりすます(?)パートかなと。土屋さんだって大石だったけれど、9代目の青学には違うって言われるんですよ。それってきっと、現在の大石が存在しているからなんですよね。

このことを考えながら、青9ももう青学のキャラそのものではいられないんだなあと寂しくなってしまいました。

 

私、青学だとせーちゃんが好きなんですよ。

初見は関立だったのですが、とにかく笑顔が可愛くて観ていると元気の出てくるのがいいなって。歌はあんまり得意じゃないのかな、とかアクロバットもうちょっと欲しいな、とか思いながらも、可愛いからいいや!って感じで観ていました、ごめんなさい。

でも、比嘉公演のせーちゃん本当にすごいんですよ。大石と手塚の試合を観ているときの本当に辛くて不安げな表情とか、シングルスの試合をする姿の格好良さとか。普段の菊丸らしいきらきら笑顔だけじゃなくて。多分すごく菊丸のことを考えて芝居を作っているんですよ。

比嘉公演が最初でない青学って3rdが初めてで、だからこそ記号的な要素に頼らないでも比嘉戦の菊丸を表現できたのだと思います。キャラの表面的な特徴ではなく、その場面でのその子の心情に寄り添うのって、キャストとキャラが深いところから重なっていないと可能じゃないです。

だからせーちゃんは、本当に菊丸なんだなーって。そのとき思ったんですよ。

でも、そんなせーちゃんも、もう菊丸ではないんです。

 

ドリライ、最初から最後までエモ過ぎた(初めてこの表現使った、でもこれ以上に分かりやすい言い方はないと思う)。

 

青9卒業の他にも、大楽の六角のMCもやばかったです。

彼らも恐らくこの公演が区切りだったんですよね。私は漠然と次があるって思い込んでいたけれど、大楽の様子とかその後のツイート見て、きっとこれが3rd六角の物語の結びなのだなと感じました。

私、六角が好きです。好きになったきっかけは2nd六角だけれど、初めて生で観た六角は彼らだし、実はこれまでの人生で一番多く観た俳優は佐伯役の彼です。

もう、本当にただのキャラ厨で申し訳ないんだけれど、六角の物語って決して幸せなだけじゃないんですよ。比嘉戦では、怒りと悲しみを抱くこともありました。でも、それでもきっと彼らの未来は幸せしかないって、そう思わせてくれる力が、3rd六角にはありました。

私の中にいる佐伯は全国大会の後テニスをやめてしまうかもしれないけれど、でもそうでない佐伯も絶対にいるんだって。そう思うことができたのはドリライのMCの六角が本当に楽しそうで仲良くて、まるで家族のような親密な結び付きを見せてくれたからです。

 

本当に、青9にしろ六角にしろ他の学校にしろ、テニミュの中の学校単位ってめちゃくちゃ深い繋がりじゃないですか。

それも観客に提供されたコンテンツなんですけれど、あまりにも生々しくてでも綺麗で。

永遠に見ていたいのにノンフィクションは永遠を許してはくれない。原作の王子様たちはずいぶん長い間共にいてこれからも離れることはないのだと思えるけれど、キャストはそうじゃない。

今一つ言えるのは、その物語を部分的にとはいえ観ることができて本当に幸せだということだけです。

 

青9、お疲れ様でした。

六角はまた会えたらいいなって希望をもち続けさせてください。