ヲタっ子1年生だった(過去形)

ヲタっ子1年生でした。元々は俳優厨、今は二次ヲタ俳優茶の間です。

舞台刀剣乱舞に関するメモとか書いたチラシの裏。

 維伝の円盤が発売になりましたね。

  というわけで即見ました。

色々とわからないことや考えたいことが沢山あって、ちゃんと纏めたいなあとは思いつつもまだまだ何度も見ないとならなそうです。

そもそも、先日購入して見た悲伝慈伝の感想もブログにしたいのですが、そっちもまだ……というわけで、一旦刀ステ全体で思ったことをメモしておこうかと。

ほぼ自分用の壁打ちなので文章ぐちゃぐちゃかつ矛盾多数ですが、書いていくことでちょっとでも自分の頭の中整理出来たらいいな。また思いつくことあったら加筆していきます。

以下、舞台刀剣乱舞に関するネタバレを含みますのでご注意ください。

 

 

悲伝

・「悲伝見たせいでうちの本丸にももう三日月いないような気がしてくる…」と言い出した親、久々のログインで目にしたのは4振りの三日月であった――

うちの親は私のせいでpocket配信開始時に審神者になった女なのですが、私と違って運があるのでたびたび三日月を鍛刀していたようです。極に警戒して1振り残したうえで他は習合しました。

刀ステはでかいTVで見たいのでだいたいは夜リビングを占拠して見ているのですが(実家暮らし)、親も大体一緒に見て萌えポイントだの考察だのを言い合っています。刀剣乱舞コンテンツだけは円盤代等援助してくれるので実はちょっと親金ヲタク。

 

・大般若の結んだ毛束の細さを再現するためにハーフアップっぽいような形になってるのが可愛い

すごくどうでもいい話。でも可愛い。刀ステのウィッグには思うところ多々あるけれど。

大般若、そもそものキャラも好きなんですけど刀ステの彼も好きです。長船派ってば脚が長すぎてびっくりなので、是非いつか他の子も登場してほしいです。

 

・燭台切の「記憶の中に、ぽっかりと思い出せない空白がある」「忘れてしまった何かと一緒に、大切なものを失ったような感覚になることがある」

これは、燭台切光忠という刀の特異というよりかは、“人間誰しも”ある感覚で、それに気付き考える彼が、心の存在を強く意識しているということなのかなと。その燭台切が、その後三日月への“不信感”、何とかせねばという“使命感”、それ故の行動をし、その末に三日月の心に触れるというのは、心に非ずの感情を、心が在るが為に持ってしまうという悲伝の物語を象徴する要素のうちのひとつなのかな。

虚伝でなんていうか客寄せパンダ兼賑やかしな感じで、義伝はメインだけれど結局揺れ動く大倶利伽羅や黒鶴(…)に美味しいところとられてるような、わりと不憫な扱いだなと思っていた燭台切がここにきて超重要なシーンを任されていることが嬉しくて嬉しくて。

 

・物語とその観測者、もしくは月と太陽

物の色って光がないと見えないじゃないですか。
刀剣男士の個とか心とか(=物の色)って、彼らの刀身や逸話を観測し続けた人間のまなざし(=光)があるからこそ存在しているものだと思っていて。

で、刀ステでは月と太陽、照らされるものと照らすものを当てはめられたキャラがいます。
悲伝は三日月が自身の物語を守りながら、定められた円環から脱することを試みる物語だけれど、この中で三日月を三日月たらしめているのは太陽の彼が側にあり、観測しているということなのでは。

あと、骨喰が三日月を抱きしめるシーンと、山姥切と三日月が戦うシーン。それぞれが三日月の心と接近していてその物語が三日月の物語と重なってるため、自身らも照らされる側となっていて。
そのときには必ず第三者(大般若/小烏丸)がいるのは、物語の観測者(=照らす側)としての役割だと思ってます。

 

・ループの話vol.1

私の知る限りのループもの(まどマギ仮面ライダー龍騎)においてループしてる記憶がある人物は意図してループしている本人(ほむらや神崎)で、それがセオリーとなりうるのなら刀ステの三日月もループの主導者だった?

きっかけになるような出来事(龍騎でいう妹の死)があってそれを防ぐためループして…ってそれは完全に歴史修正なのですけど、もしや今の三日月はその罪によって円環から抜け出せなくなっている?

例えば、ジョ伝でのお守りを渡すこと(=破壊を防ぐ)をするために最初のループが行われて、その罰として目的を達成しても円環が終わらない、止まらない状態になったとか?

いまの三日月が円環の中にいるのは本人の意志ではなく、また脱することを試みてはいる(これまでのループに存在しなかった鵺に対する態度から)みたいなのですけど、ループのきっかけは三日月の意思だったのでは?という話。

 

慈伝

・推しキャラが大体出ていてすごい。不人気推し救済企画じゃん

まさか2.5にはならなかろうと諦めていた最推しがいる。上演当時は刀剣乱舞から離れていたので、今更に感動してしまった。

私はすご~~く面倒くさいヲタクで、アニメでは推しの作画も台詞も気に入らな過ぎて暴れかけたり(声優さんのコメントで気持ちの整理をつけたので未遂)そういう感じなので勿論慈伝の最推しも完全肯定できるものではないです。でも『エアプの描いたオールキャラ二次』的な問題は殆どなかったし、何より最推しの演者さんの表情がかなりいい感じだなって!

また刀ステ出て欲しい気持ちと、しんどいシナリオで辛い思いをする最推しを見るくらいなら出なくていいや…という気持ちが……。

 

・悲伝の後すぐ見たから温度差にびっくりした

でも刀ステだった。五虎退の探し物のドングリのくだりを見ていて、これは悲伝と慈伝であわせてひとつの話だなって。心の物語。

 

・OPで太郎次郎と並んで大般若がいるのをみて「三郎じゃん」って言ってごめん

これは本当にごめんなんだけど、一度そう思うともう他のシーンでも一緒にいるだけでそんな気がしてくるから不思議。

ちなみに、太郎次郎のいる熱田神宮には三郎ではないけどもう1振り大太刀がいるらしいですって。

 

・働く三池えらいね可愛いね

荷運びも、その後の買い出しも。他の平安刀が到底働くとは思えない刀ばかりなので余計感じるこの可愛さ。大典太なんて天下五剣なのに……そういえば活劇でも荷車引いてたし、そういう子なんですかね。

 

・本丸という空間の愛おしさ

山姥切国広に対して、また本丸に対しての長義の言葉に南泉が「やめとけって! 後で絶対、何であのときあんなこと言っちゃったんだろうって後悔するから!」(うろ覚え)って言うところと、大般若が「皆本丸に来てすぐは多かれ少なかれこうだった」(うろ覚え)って言うところが好きです。

色々な境遇にあり色々な物語を持つ刀が集まる本丸の今まで(この場合の今までとは過去作のことではなくて、描かれずとも進んでいたであろう本丸の日常的な変遷のこと)が見えるような、そんな台詞だなって。

そこと併せて、~悲伝で三日月がつくっていったのはこんな本丸なんだ、とかきっと彼らはこれからも三日月の心を大切に憶えて守って、いつか三日月が帰ってくる道しるべになるように…、と思うと余計愛おしい。

 

維伝

・銃を撃つ和泉守~!

これはすっごくアツい。でもその後の堀川の台詞は要らないな~って思いました。個人の感想です。

あと、和泉守の顔が2次元過ぎてびっくりした。

 

肥前の顔が可愛い

あるシーンで、親と私で同時に「「肥前の子可愛いね…」」とハモってしまいちょっと困惑した。でも本当に顔が可愛い。そうだよね脇差だものね……。

あと、肥前と以蔵が共闘するシーンがとても好きです。普通なら元の主に関わりすぎてはいけない中、政府管轄の刀剣である(=余計に歴史や人物への関与に制約がありそう)肥前がああして以蔵と深く心を通わせたのは、あれが本物ではない朧の以蔵だから…というのがなんだか切なくて。

 

・時系列の話

パンフにヒント?があると聞いてぽちったんですけどまだ届かないのでとりあえずの妄想です。

 虚伝初演→→→→→→→維伝
 虚伝再演→義伝〜慈伝→?
かなと思ったんですけど。

~慈伝と維伝が繋がってなさげな理由としては、近侍が長谷部なところとか…と思ったら親が「これは長谷部の願望による歴史修正だ~!」とかふざけだしたのであんまり考えられていないんですけどね。

とすればあの遡行軍?の山姥切?については、慈伝で修行に行きもっと強くなるといった彼のIFなのかなあ。三日月を救うための行動が直接的か否かといった感じに。
思えば悲で結の目により様々な歴史を見たこととも何か繋がるような。

でも、織田〜龍馬まで、色々なものの物語を集めている?あれが、際限なく歴史のあらゆる地点を巡っているとすれば、それは円環をめぐることと何が違うのか…。ひどく孤独な気がするし、じゃあその山姥切?のいた本丸は今どうなっているの?と。
あれ、維伝の本丸のそれとは別だよね多分?? もし維伝の本丸の山姥切=遡行軍?の山姥切?なら流石に鶴丸がもっと何とかしようとするだろうし。となると、①虚伝初演~維伝 ②虚伝再演~慈伝 ③そのどちらでもない(これはもっと数多存在する可能性) があるってこと?

 

・ループものの話vol.2

ループって、ループしてることを知覚しているものにとっては円環だけれど、なら他のものにとってはどうなの?という話。ループものって調べると

作中で何らかの原因により、『時間の巻き戻り』または『以前体験したのと似た世界へのワープ』が発生し、同じ出来事が繰り返されてしまう、または特定のキャラクターが自らそれを繰り返す(ループする)さまを描いた作品のこと。

ループもの (るーぷもの)とは【ピクシブ百科事典】

とあったけど、刀ステの場合は『特定のキャラクターが』(三日月)『以前体験したのと似た世界へのワープ』と言うのが一番近いのかなと。

悲伝で三日月は円環を脱することが叶わず終わったけど、その後も他のものにとっては日々は続く(慈伝がそれ)、つまり時間は円ではなく直線的に進んでいて。

維伝の放棄された世界の説明映像が結構好きなんですけど、あれ正史も改変された時間軸も等しく平行に進んでいるじゃないですか。本丸の歴史もそれと似ているとしたら。つまり三日月は円環を廻るというより、数多あるほぼ同一の本丸の歴史を移動してその一部分(顕現~悲伝のとき)を通過し続けているのかなあ。

 

・円環から救いたいものは何か

人様の考察で鳥太刀の言う救いたい存在=三日月ではないのでは?(空に浮かぶ月はミスリード)と言うのを見かけて。

舞台刀剣乱舞 維伝 朧の志士たち 考察その1|みずのり|note

舞台刀剣乱舞 維伝 朧の志士たち 考察その2|みずのり|note

前述のループの話に関係してて、虚伝の初演再演はそれぞれ別の時間軸であろうと思うんですけど、もし今回の維伝の時間軸(=虚伝初演?~)で円環にあるとされるものが三日月ではない(=まあ山姥切か)ならこの軸の三日月はどこに?

悲伝の結いの目が歴史を見せていくシーンからして、もし山姥切が円環に囚われるとしたら原因はまず間違いなく三日月だと思ったんだけれど、逆か? (以下想像の飛躍距離UP) そもそも彼が何らかの形で円環に囚われてしまって、それを救うために三日月が…みたいな。では、ループの話vol.1での、意図して行ったループの理由はそれか。
でも維伝の遡行軍?の山姥切?は恐らくというかなんというか、三日月を救うために動いていて…。それは三日月の為に意図してループを行っているということかもで……。

A.円環に囚われる三日月とそれを救おうとする山姥切 (これはほぼ確実)
B.円環に囚われる山姥切?とそれを救おうとする三日月 (かなり妄想)
の二種類の歴史が大きな意味での円環になってる? 2匹の蛇のウロボロスのような。

で、維伝自体は(かなりありえない線だけど、可能性としては)もしかしたらBかもしれないけど、少なくとも遡行軍?の彼自体はAの世界から来ていて…。
そもそもの時間軸は、すごく遠くから見たらわからないけれど少なくとも顕現~慈伝程度の距離においてはほぼ直線で、でもそのほぼ直線で平行な線を複数移動している(=個刃単位での円環)のが、~悲伝の三日月(A)かもしれなくて、それを救おうと、あるひとつの時間軸の山姥切?は別の軸へ移動し物語を集めていて、維伝の時間軸(Bの可能性?)に現れて……。

これ、ほぼ直線であるはずの複数の時間軸が存在しているのならそれを絡ませているのは円環の中にいるものとそれを救おうとしているものなのでは。三日月が円環にある故に円環に足を踏み入れる山姥切(その逆も然り)こそが歴史を絡ませていて、みたいな。

 

・「強くなってくれ」「お前はこの物語に必要な刀だ」

遡行軍?の山姥切?が鶴丸に言った台詞。山姥切?が維伝の時間軸の本丸の刀ではないのであれば、まるで維伝より先を知っているかのようだなって。つまり、山姥切?は維伝とは別の時間軸の、維伝の時点より未来から来たのか~みたいな。

しかし、鶴丸が必要ってのはどういうことなんでしょうね。先ほどリンク貼ったnoteで考察されている方は義伝と結び付けていました。たしかにな~、鶴丸が一番大きな役割を果たしたのはあの時ですもんね。ここら辺はまだあまり考えられていないのであれですが…。

 

・で、それって本当に遡行軍?の山姥切?の言葉なの??

引き続き遡行軍?の話。

あの遡行軍?が山姥切?なのは、容姿からしてそう…なんだけど、口調にとても違和感があって。「おくれ」って言い方とか、三日月に対しても「おまえ」って二人称を用いてることとか…、山姥切は三日月のことを「あんた」って言ってた気がする…いや曖昧な記憶の話ですので確認したら違うかもですけど……。

あと、「おくれ」って、Please的な意味なのか、って話。おどろおどろしい雰囲気での「物語をくれ」って言葉なのか。もしも「送れ」だったら?とかって考えたり。顔を隠されている以上、あの言葉を発しているのが山姥切?である確証はどこにもないんですよね。例えば、遡行軍?の山姥切?に物語を集め送らせている誰かがいたら…?とか。まったくもって妄想ですが。

 

・歴史を守るのは刀の本能?

この場合の刀=刀剣男士でしかないとは思うんですけど、確かに刀剣男士ってその用途って歴史を守ることでその為に顕現しているから、審神者ないし時の政府は当たり前にそう造るよねとは思いました。

でもこれは正直、この世界の真理としたくないな~って。だって、私は悲伝の時鳥も刀剣男士であったと思うから。こればっかりは屁理屈すらない感情論なんですけどね。