ヲタっ子1年生だった(過去形)

ヲタっ子1年生でした。元々は俳優厨、今は二次ヲタ俳優茶の間です。

205×年、水道橋にて

 欄干にもたれ掛かり、橋の上から川を見ていたのです。いえ、そんなに風雅なことではありません。決して緑豊かとは言えない都会の、浅いはずなのに底が見えないほど濁った川です。なんとなく澱んだ水っぽい臭気で胸をいっぱいにしながら、水面で揺蕩うA4判のフライヤーを眺めていました。

 『××の王様』という大ヒット漫画を原作とした「ミュージカル『××の王様』」は、キャストを代替わりしながら数パターンの公演を繰り返し、かれこれ半世紀ほど続く伝統ある舞台です。私が生まれたときには主人公も28代目、公演自体は7thシーズンを迎えていました。そして今は11thシーズンも終わる、そんな時期です。
 お母さんが9代目の公演を見ていた頃と今、この街の姿はそう違わないそうです。わざわざ植えられた植物、鳩の大群、忙しなく歩く人々。この川も今と違わず汚くて、でも川のことなんて気にしたこともなかったって言っていました。私もその気持ちはすごくわかります。駅から劇場まで、浮わついた気持ちを押さえながら歩いていて目に映るのは信号機の色くらいで、橋の上でわざわざ立ち止まったこともありませんでした。
 ……雀くん、もう卒業だね。
 雀くんは47代目の主人公を演じる新鋭の若手俳優です。歴代主人公のキャストと同じく、他のキャストよりも若くて小柄な男の子。この舞台がデビュー作です。新キャストの発表と同時に公開されたコメント動画で「今までの誰より本物な○○になります」とカメラをまっすぐに見据えて言う姿に、私は心を奪われました。他の新キャストが不安げに微笑みながら「頑張ります!」と話す中で、雀くんの態度は際立っていました。綺麗な瞳も少し太い眉も、変声期前の不安定な声も、全てが自信に溢れていて、そんな彼を私は見つけてしまったのです。私が発掘したわけでもないのに見つけてしまったとは変な言い方ですが、愛してしまう相手との出会いは化石発掘か狩猟のようなものだと、そう思いませんか?
 さて、それからかれこれ2年、私は雀くんを追いかけ続けています。『××の王様』は毎年ロングラン公演を2本と単発のイベントをいくつもやる為、主演の雀くんは他のお仕事をろくにすることもなく、ずっと○○であり続けました。初公演のときは台詞を噛み、歌の歌詞を飛ばして、振付けの左右を間違えてしまった雀くん。「コメントで大きいこと言ったくせに」と叩かれたりもしました。それでもずっと自信満々な、不遜ともとれる態度を貫き通した雀くんのことを、生意気だなあと思ったこともあります。でも、好きになってしまったんだもの、どんなに俳優として拙くても、板の上の雀くんから目を離すことはできませんでした。
だんだんと演技がこなれてきて、歌もダンスも悪目立ちしなくなってきた頃からファンが増えたけれど、誰よりも沢山雀くんを見てきた自信があります。
 人工知能の教師が機械との共存についてを板書するだけの形骸化した授業に見切りをつけて高校を中退し、今となってはマニア向けとなった「人間カフェ」のウェイトレスで稼いだお金をすべて観劇と交通費に注ぎ込みました。ロボットの修繕をする知識のない人間の女の子にとって最も簡単な仕事が、人間カフェのウェイトレスです。人間カフェは普通の飲食店よりも多いオーダーミスやムラのある接客を許してでも人間の温もりを求めるお客さんで日々繁盛しています。カフェと銘打ってあるものの、その形態はかつての風俗産業と似たようなものだと、働きはじめのとき私に対してお母さんは嘆きました。お母さんは前時代の人なんだなと、こういうときに実感します。たしかにお客さんはしょっちゅう太股や腕を撫でてくるけれど、別に不快なほどの接触はありません。なぜなら、今の主流な風俗店では並みの人間よりよほど綺麗で多種多様な嬢ロボが、人間カフェと大差ない金額で全てをさせてくれるからです。人間カフェで私に触れるおじさんたちの目に欲情の色はなく、ただ人肌が恋しいという悲しみだけが伝わります。だから私も、気持ち悪いというより慈しみのような、少し切ない気持ちで時給1200円の8時間を過ごしています。
 思えば、舞台というのも人間カフェのようなものなのかもしれません。チケットは電子化し照明や音響は専用の人工知能が制御しているものの、キャストは現在も生身の人間です。完全機械化した番組製作(裏方のみならずニュースキャスターもタレントもほとんど人工知能搭載のロボットで、ドラマも生身の人間はほとんど出演しません)やお母さん曰く早いうちに自動製作のノウハウが確立されたアニメと異なり、今も舞台では人間が虚構を作り出します。私が物心ついた頃には既に大抵の飲食店や小売店無人化されていましたが、それでもどこかで人間の温もりを求めてしまっているのでしょうか。慣れではなく、それこそ遺伝子のレベルで。そういう意味では雀くんは非常に人間らしい人間で、私が夢中になった理由はそこだったのかもしれません。恋愛小説を書くのは人工知能で十分だけれど、恋愛をする相手は人間が良いのです。

 ぼんやりと思いを巡らしていたら、いつの間にか川の水面からフライヤーが消えていました。遠くへ流されたのでしょう。雀くんが大きく写し出された、今の公演のフライヤー。
 私は欄干から手を離して、劇場の方へと歩きはじめます。もう開場時刻は過ぎて、当日券抽選の当落も発表された頃でしょうか。劇場へ向かう人の流れに勢いはなく、どちらかと言えば当日券の抽選に外れた人々が肩を落として駅へと向かう姿が目につきます。
 今日は11thシーズン最後の公演の千秋楽、雀くんたちキャストにとっては卒業公演の日です。あっという間に辿り着いた劇場前に人の姿はなく、私は慌ててチケット情報の入った端末をゲートへかざして入場しました。やはり人気のないロビーを駆け抜けて劇場内へ入ると、既に開演前のアナウンスが始まっていました。今日の座席は最前列の0番前、つまりは一番前の一番真ん中です。客席後方の扉から早足で席についたときには、観劇マナーの注意も終わり、出演キャストによる日替わりのアナウンスが始まるところでした。

「みなさん、今日はご来場ありがとうございます!」
雀くんの声。2年前はまだ中性的だった声も今ははっきりと男の人だなあと感じられます。
「今日はいよいよ大千秋楽。緊張でお昼ご飯が喉を通りませんでした」
そうなんだ。私は日高屋で中華丼を食べてきたよ。そういえば、前に中華丼のうずら卵のことを雀くんへの手紙で書いたことがあったね。人間カフェのメニューに中華丼があって、人間らしさの演出でたまにうずら卵を入れ忘れたり多く入れるように言われてるって話。日高屋の調理機が作る中華丼はご飯のグラム数から白菜の欠片の数までいつも揃っていて、もし万が一調理機の調子が悪くても配膳ロボが確認して作り直させるから目立つうずら卵の数が変動することなんてまずないでしょう。わざわざ劣ったものにお金払うなんて変で、でも舞台もそういうことなのかもね、って。前日の公演で雀くんが久々に酷い出トチりをしたから、そのフォローとして書いたんだよ。
「さて、昨日の発表、ご覧になっていただけたでしょうか?」
ええ、もちろん見たよ。
「来年夏から始まる12thシーズンから、ミュージカル『××の王様』は新たな体制となります」
客席からはなんの声も起きません。皆既に公式サイトを見ていたからでしょう。
「5thシーズンより試験的に取り入れられてきた機械化により、今ではキャスト以外の全てが人工知能によって動かされています」
物販にも、かつての機材席にも、どこにも人間のスタッフの姿はないですからね。そう、雀くんたちが立っている舞台上の他は。
「しかし、この度皆様により良い舞台をお届けするため、全キャストの機械導入を決定しました」
どこからも、なくなる。
「それに先んじて試験的に導入されていたのが、僕です」
私の感じていた、嘘の温もりも。
「裏切られたような気持ちにさせてしまっていたらごめんなさい。でも、僕を人と同じように感じて愛してくれた方の気持ちは、偽物なんかじゃありません。それを、僕やこれからのキャストたちが証明していきたいと思います」
入れ忘れのうずら卵に感じる人間らしさなんてろくなものじゃない。



三題噺「人工知能うずら卵、川」
(初出2019.4.13)加筆修正無し